資本主義にも民主主義にもなじめない農園主の日々の想い
海だったり空だったりした いつか
山だったり川だったりした いつか
マンモスの地響きを洞窟の中で聞いた
何千年も何万年も昔の
記憶の海 輝け
虫だったり獣だったりした いつか
女だったり男だったりした いつか
空の上からこっちを眺めている
何千年も何万年も未来の
時間の空 輝け
海だったり空だったりしたいつか
あなただったり私だったりする いま
光だったりした いつか
ボケたの、狂ったのと聞くたびに想うのだ
俺はボケたり、狂ったりしていないのか?と
とても自信はないのだ
問いつめられれば、「私は狂っています」と
認めるしかないだろう
この国で、無為に暮らす俺は
痴呆でなくてなんなんだと
空ばっかり見ていると、ボケだと思われる
海ばっかり見ていると、変人扱いされる
他の世界ばっかり見ていると、狂ってると決めつけられる
とらおよ、ボケも非ボケもないそっちの世界で存分に生きとくれ
ひまがあったら、せめて夢の中にでも会いに来ておくれ
十年もたぬ常識よりも、千年続く”非常識”!
それが俺らの合い言葉、
ハイホー!
近所のKさんは八十六か七歳。けがの後遺症や痴呆が始まったせいもあり、百姓は終わりにした。田んぼの何枚かは昨年から私が耕作している。果樹園のスモモの木は切り倒されて、今年の“どんどん焼き”の火になった。身体の芯まであたたまる暖かい炎の前でお神酒をいただきながら、この一年の平安を祈る。
ツ〜ンと臭ってくるものがあると思ったら、立ち小便している男がいる。アーケードのある商店街の入り口、アスファルトの交差点の一角。数人の男たちが車座で昼から酒を飲んでいる、とおもえばその向こうには路上で布団にくるまって寝ている者もいる。次の角では携帯電話の男がなにやら不可解な話をしながら商店街の方をしきりに気にしている。私の背後から警官が二人小走りにその男に近づく。男がなにやら言い訳をくりかえしながら警官と共に路地に入ると、頭や口から血を流した男が何人もに囲まれている。電話の男が警官に、”泥酔した男がからんできたので振り払っただけだ”としきりに弁解する。血を流している男の眼は空ろで警官の問いにも無言のまま・・・その脇にはまだ火の気の無い幾つものドラム缶のかまどと大なべ。紙袋やビニールに詰め込まれた大量の野菜が無造作に積み重ねられた横で、男が一人騒動に目もくれずもくもくと薪を作っている。おお〜ここが目的地の共同炊事場!今夜の食事はこの路上で食うのだ、作るのだ。40年前と変わらぬ光景。冷たい風が吹き抜ける路地で200人の夕飯作りが始まった。
10数個のドラム缶のかまどの火が勢いを増し火の粉を吹き上げる。何十人もがいっせいに人参や白菜をきざみ始めると、包丁の音が太鼓の響きのように夕暮れの路地を埋め尽くす。おおこれは”火祭り”ではないか!
夕飯作りに、かってこんなに興奮したことはなかった。
”のたれ死ぬには早すぎる”そんな気がした。
夜中に人と話がしたくなって、友人たちを叩き起こしていた時期があった。みんなにあきれかえられて今は少し控えている。百姓は早寝早起きがあたりまえのようだが、不良百姓は夜更かしの癖がぬけない。1年に何度か、”本当”がやってくるので眠れないのだ。(おいおい、寝てる場合じゃねえだろ〜』と友人を起こそうとするが、『百姓は早く寝なさい!』と諭される。彼や彼女の所には、今夜は”本当”がきていないので、おろおろしているのはわたしだけなのだ。”本当”は怖い!でも幸いなことに?”本当”はちゃんと受け止めないと、すぐに姿を消してしまうのだ。あれやこれや、いろんな言い訳をしているうちに”本当”は行っちまう。インスタントにするか豆を挽くか迷っている寝ぼけ眼の遅すぎる朝には、”本当”はもういない。